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大和の歴史の達人 舘野義久さん


 私の生まれ育った青木村(桜川市青木)は、二宮尊徳の築堰した青木堰のある所です。江戸末期疲弊したこの村を見事に復興した村として知られています。
 大学時代(昭和29年(1954)3月卒業)に、「そうだ、この事蹟を研究のテーマにしよう。」と決め、卒業論文作成にとりかかったのが、二宮尊徳との出合いでした。
 幸い青木には、堰をはじめ尊徳の顕彰碑、関係史料、尊徳のことを伝聞できた古老もおり、論文作成には好都合でした。
 また、私の卒業した岩瀬小学校には、“薪を背負う二宮金次郎像”が校門に立ち、朝な夕な仰ぎ見るのが習わしで、下校時には必ず「二宮金次郎」の歌(しば刈り、縄ない、わらじをつくり、親の手を助け、弟を世話し・・・)を合唱、金次郎像に一礼して帰るのが日課となっていました。
 そんなこともあってか、子供の頃から知っている二宮尊徳とは一体どんな人物なのか、なぜ青木村に来たのか、調べてみたいということで、卒論のテーマとなったのは自然だったように思います。しかし、当時の世相は、左翼思想が幅をきかせ、二宮尊徳を語ることは古くさく、戦争協力思想とみなされ、卒論のテーマにすることさえ、気恥ずかしい雰囲気だったことも事実です。
 地元の古老の話、様々な文献を調べていくうちに、二宮尊徳は偉大な農政家、実践的な指導者であることがわかり、まさに目から鱗の感じがしました。以来、二宮尊徳は私にとってのライフワークとなり、人生の糧となっています。



館野 義久(たての よしひさ)
桜川市青木 在住
桜川市教育委員会委員 郷土史家

昭和 7年 旧大国玉村青木(現桜川市青木)に生まれる。
昭和29年 茨城大学教育学部初等教育学科卒 
同   年 下館市立第三中学校に奉職
       その後、県西地区の小学校教諭を歴任
昭和63年 関城町立関城中学校校長
平成 3年 下館市立下館小学校校長
 
教職のかたわら、下館市史などの編纂に携わるなど、郷土史研究に取り組む。
退職後、大和村教育委員、県民大学講師を勤める。
現在は、桜川市教育委員会委員長として活躍。


 

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