よみがえる金次郎

よみがえる金次郎『二宮尊徳』



「序」


【編集者より】

 「よみがえる金次郎『二宮尊徳』」は、桜川市誕生前の旧大和村時代に桜川市青木(旧大和村青木)在住の舘野義久氏により執筆され、村の広報紙に連載されていました。

 日本人なら誰もが知っているといっても過言ではない二宮金次郎ですが、ここ桜川市青木の地でも『青木村仕法』として今なお語りつがれています。

 氏は連載の中で、『現在高度成長の波が止まり、国土や農林業はまさに荒れなんとしています。そのうえ、日本人の心の豊かさが枯れ、人間関係の断絶・退廃が進み、二宮尊徳(金次郎)が最も恐れた“人心の荒廃恐るべし”の状況となっています。21世紀の今、このような社会状況の中で、再び二宮尊徳がよみがえり、農村復興、日本の改革の旗手、実践的指導者、救世主として再評価されつつあります。幸い青木には、二宮金次郎に係わる史料や遺跡が残されています。これらを参考にしながら、尊徳(金次郎)の生きた時代と現代を重ね合わせ、その実像にせまりたいと思います。』と記しています。

 金次郎が生きた時代は江戸時代末期ですが、当時と同じように現代は正に“人心の荒廃恐るべし”の状況になっているような気がしてなりません。このよみがえる金次郎『二宮尊徳』は、現代社会を見つめなおすキッカケとなるはずです。


      ▲「二宮先生築堰之蹟」の石柱が残っています。





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■ 『桜川遺産めぐりツアーin青木 』の様子を追加しました。

■ 『薬王院の紅葉』のライトアップの様子を追加しました。











よみがえる金次郎『二宮尊徳』 目次



【壱】手本は二宮金次郎

【弐】校庭の金次郎像

【参】国定教科書と尊徳

【四】金次郎の生い立ち

【五】青木村の変遷

【六】青木堰

【七】疲弊する青木村

【八】名主舘野勘右衛門

【九】尊徳の叱責

【拾】尊徳の金銭感覚

【拾壱】領主の依頼状

【拾弐】青木築堰

【拾参】青木村の復興

【拾四】出精特奇人表彰

【拾五】青木村の反乱

【拾六】反乱の収束

【拾七】分度

【拾八】尊徳の苦悩

【拾九】掛縄積立




二宮尊徳像1787〜1856(天明7〜安政3)この肖像は、尊徳(金次郎)の旧友で、門人となった小田原曽比[そび]村名主剣村広吉が画家岡本秋暉[しゅうき]に依頼、江戸藩邸内で藩士矢野筈右衛門と対談中を襖の間から写生させたもので、最も尊徳の面影を伝えているといわれている。






【金次郎略年表】

1787年(天明7年) 1歳 7月23日、栢山村(現小田原市)に生まれる。
1800年(寛政12年) 14歳 父利右衛門病没(享年48歳)
1802年(享和2年) 16歳 母よし病没(享年36歳)、一家離散。
1803年(享和3年) 17歳 空地に捨苗を植え、籾1俵収穫。「積小為大」の理を体得する。
1806年(文化3年) 20歳 独立し二宮家再興に着手。田9反余を買い戻す。
1812年(文化9年) 26歳 小田原藩家老服部家の若党となる。
1817年(文化14年) 31歳 中島きのと結婚する。
1819年(文政2年) 33歳 長男誕生するがまもなく病死。きのと離婚。
1820年(文政3年) 34歳 岡田波子と再婚。
1821年(文政4年) 35歳 桜町(現栃木県二宮町)の調査開始。嫡男弥太郎誕生。
1822年(文政5年) 36歳 小田原藩に登用され、名主格として桜町復興を受命。
1824年(文政7年) 38歳 田畑家財一切を売払い、一家で桜町へ移住。
1825年(文政8年) 39歳 長女文子誕生。
1828年(文政11年) 42歳 トラブル多発。辞表を提出するが却下される。
1829年(文政12年) 43歳 成田山で断食水行。
1833年(天保4年) 47歳 青木村の仕法を開始。桜川の堰を改修。
1834年(天保5年) 48歳 「三才報徳金毛録」等を著作。
1835年(天保6年) 49歳 谷田部、茂木の仕法に着手。
1836年(天保7年) 50歳 烏山藩を救済。「報徳訓」完成。
1837年(天保8年) 51歳 小田原藩内の貧民を救済。
1838年(天保9年) 52歳 小田原領内数か村及び下館藩の仕法に着手。
1839年(天保10年) 53歳 相馬藩(現福島県相馬市)の富田高慶が入門。
1842年(天保13年) 56歳 幕臣に登用され、利根川分水路(印旛沼周辺)の調査をする。
1844年(弘化元年) 58歳 日光仕法を受命。
1845年(弘化2年) 59歳 相馬藩に冨田高慶を派遣し、仕法を開始する。
1846年(弘化3年) 60歳 日光仕法雛形完成。安居院庄七が遠州で報徳運動を開始。
1848年(嘉永元年) 62歳 一家で東郷陣屋に転居。
1853年(嘉永6年) 67歳 日光仕法に着手。病を押して日光領内を巡視する。
1855年(安政2年) 69歳 報徳役所(現栃木県日光市今市)に転居。
1856年(安政3年) 70歳 御普請役に昇進。10月20日病状急変し永眠。




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