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よみがえる金次郎

【九】尊徳の叱責


 桜町陣屋(二宮町)に青木村の救済を嘆願する名主、百姓たちを前に、二宮尊徳は次のように諭(さと)すのです。その言葉は、現代の社会状況に通ずる内容です。

 「そもそも村の荒廃は、用水を失ったのみではない。用水がなければ田を畑として、雑穀を得るべきである。人を養うものは稲穀に限っていない。用水のとぼ乏しきを口実として、良田を荒蕪(こうぶ)に帰するは、井泉を塞(ふさ)いで水を他に求むる類(たぐ)い。惰(だ)の民(なまけ者)となり、博奕(ばくち)を事として祖先伝来の家財を失う。

 農力進みて、糞培(ふんばい)(地を耕し肥やす)怠らなければ、畑もまた田に勝る。田は一作の地多く、畑は両毛(陸稲(おかぼ)と麦)を常とし、之をきらうは怠惰(たいだ)なり。我が仕法は節倹をもって有余を生み、他の艱苦(かんく)を救う。各々その業に精励・善行を積み、悪行をなさず勤倹をもって一家をなすべきである。

 各々がそうするならば、貧村は必ず富み、廃邑(つぶれむら)は必ず興る。おまえたちの村の困窮はあわれ憐みなれども、それは自業自得である。再び来るなかれ」と、厳しく叱責するのでした。

 これに対し名主勘右衛門は、涙を流し泣きながら訴えるのです。

 「邑民(むらびと)の農業を怠る所業は、先生の言う通りです。しかし、邑(むら)は困窮極まり放置することは出来ません。悔恨(かいこん)の情でいっぱいです。これから懶惰(らんだ)を改め先生の教えに従い、粉骨を尽くし艱苦(かんく)に耐え、再興の業に従事することを誓います。何卒この村を救いくださることお願いいたします。」と、悲痛な声で訴えました。

 尊徳はじっと聞き入り、泰然として諭すのです。
 
 「人は苦しみが迫る時、どんな難儀(なんぎ)もいとわないと言うが、少し良くなると元に戻る。邑(むら)再興の道は旧弊(きゅうへい)を除き、初めから着手することが大事」と。

 一同はこれに対し、どのような困難にも耐えることを誓約し席を立とうとしませんでした。尊徳は、しばらく考えてから言葉を発しました。「青木村への仕法を引き受けるかどうかは、まだ決めていない。
 ただこうしよう。青木村についての詳しい調査資料がほしい。わしは調査しないでいきなり仕法は実行しない。まず資料を出してほしい。その後で実際に回村したうえで仕法が行えるか考えよう。

 「先ず火災の原因となる茅(かや)やすすきを刈ってほしい。刈り終わったならば、それ相当の値段で買取ってやろう。」

 この言葉に勘右衛門をはじめ一同は、目を輝かせ「きっと先生は、青木村へ来て下さる」という、祈りにも似た確信を持ったのです。村中に茅やすすきが生い茂るということは、火災の原因になるだけではないのです。(そのことは、村の人の心に茅とすすきが生い茂っているのだ)

 青木村の尊徳仕法は、心に生い茂った茅やすすきを刈り取る『心田開発』からはじめられたのです。



二宮町にある桜町陣屋 (国指定史跡)宇津氏4千石の役所跡
二宮尊徳は、家族とともに26年間ここに住み仕法に尽力した。


文:舘野義久
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名主舘野勘右衛門
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