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よみがえる金次郎

【拾】尊徳の金銭感覚


 二宮尊徳という人は、人心掌握の術をよく心得ていました。桜町(二宮町)でも青木村でも、そのことが如何なく発揮されています。自分を信頼させる、してくれる者への処し方の下ごしらえの上手な人でした。

 その特徴的なものは、金銭の使い方にあります。すなわち金を与えて人の心根をただすという「尊徳流の下ごしらえ」には、青木村の農民はただ驚くばかり、こんな人物に出会ったことは始めてのことだったからです。

 「火災の原因となる茅を刈るべし。刈り終わったならば、相当の値段で買い取る」という尊徳の言葉に村民一同感激、早速、老若男女総出で3日間に1778駄(だ)(1駄は馬に背負わせる量)を狩り出しました。

 名主勘右衛門は、これを尊徳に報告。賃金として金14両3分1朱26文を受け取りました。茅30駄で1分(1両の4分の1)の割合、1朱は(1両の16分の1)というもの。そのうえ、褒美として鍬や鎌を与え労をねぎらいました。

 尊徳は青木村の仕法(復興計画)にあたり、まず働くことへの意欲、働いた結果の喜びを体感的に知らしめたのです。今までの村の仕事は、領主の指示や命令での堰普請、道普請など、どれ一つとてもやらされる、やらされているという受身の姿勢で取り組んできました。

 尊徳には、(この村の百姓は働けば金になるという金銭感覚が欠如している)と映りました。万が一青木村の人々に、荒地開発・堰普請もやらされるという意識が、心の片隅にあったのでは、この仕法は成功しないという危惧の念もありました。

 働く人々に対し、賃金を払うのは当然というのが尊徳の哲学でした。村の堰普請だからといって、働く人々にただ働きをさせる癖を、この村でも改めさせなければならないことを知らしめたのです。
 「世の中にただ(無料)のものはない、値打ちのないものはない」という価値観をうえつけたのです。
 働くことは、「単に奉仕でも、慈善事業でもない。つまり、金をかけずに仕事をしたりするから、金銭感覚が薄れ、結果的に村を疲弊させることになる。この世の中は、金で動いていることを、この村の人たちに知ってもらいたい」という信念で仕法にあたったのです。

 事実、この時代貨幣経済は農村の隅々まで浸透し、大名も旗本も農民もすべて、士農工商の最下位にあった商人層によって動かされていたのです。

 ところで、尊徳は買取った茅で青木神社をはじめ、寺社堂7棟、民家31軒の屋根ふきをしたのです。これに要した費用金15両3分1朱余、米15俵余、これもすべて尊徳により供与されました。
 このような尊徳の取り計らいに村民一同感泣し、今後どのような困難にも耐えていくことを誓い、一日も早い仕法開始を懇願したのです。

 これは、天保2年(1831)12月のことでした。


二宮尊徳仕法による「流造り」の青木神社本殿の屋根修理(現在は銅板ぶき)


青木村名主 舘野勘右衛門奉納の手洗い石(青木神社・裏に銘文)


文:舘野義久
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