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よみがえる金次郎

【拾壱】領主の依頼状


 二宮尊徳の青木村仕法に、名主勘右衛門の片腕となって尽力していた人物に重左衛門(村役人・名主。現当主廣澤光一郎氏)がいました。

 青木村下組を取りまとめ、仕法が停滞なく進行するよう、村民のやる気を引き出し、荒地開発・堰普請・植林には率先垂範(そっせんすいはん)指導者としての力量を発揮しました。尊徳から「表の勘右衛門、裏の重左衛門」といわしめた程の厚い信頼を得ていました。回村の折には重左衛門家を訪問、野火を防ぐための植林の必要性を説き、尊徳自ら屋敷内に火に強い黐(もち)の木を植えています。

 天保2年(1831)の「青木村荒地起し返し、難村復旧の仕法取扱い方嘆願書」をはじめ、青木堰普請に関係する文書には、名主勘右衛門と連署でその名が記載されています。

 青木村は旗本川副氏の所領のため、領主の了解なく仕法を進めることは出来ません。堰が壊れ、田植え後の給水が思うようにならないため、川副氏よりの正式依頼のないまま、仮工事の堰止めを翌年の7月18日に着手、8月6日には完成を見ました。

 この工事は、尊徳が費用を貸付けただけで、一切村民により行いましたが、村民は工事に不馴れなため、尊徳は桜町で用いた道具、破畑(はげた)人足(土工夫職人)や西沼村丈八、物井村忠次、岸右衛門などを派遣しました。これに要した費用は、村人足575人、発畑人足150人、雇入足104人、米百13俵、空俵(あきたわら]881俵、萱(かや)100余駄金11両余という大がかりなものでした。

 とりあえず植えた苗を潤すだけの給水は確保できたが、水の回りが遅く不安でならない。一日も早い堰の本工事が待たれたのです。しかし、尊徳にはこれ以上手が出せなかったのです。
 「領主川副さまの正式依頼ない限り、わしは動けない」臍(ほぞ)を噛む思いで天を仰ぐのでした。

 その年は暮れ、新しい年天保4年(1833)2月になって、川副家の用人並木柳助、金澤林蔵の両名が桜町陣屋にやって来ました。領主川副勝三郎の書状を二宮尊徳に渡します。
 

「御願申す一礼のこと」 

 当知行所である常州真壁郡青木村は、用水、溜池はございますが、数年来捨ておかれ、大破いたしております。手入れも村方困窮して行き届かず、田畑が荒地となり、一村亡所同様になり、非常に嘆かわしい次第です。幸いあなたさまが隣村へご出張なされ、趣法成功のこと村方からお聞きいたしました。ついては、どうか右のご趣法を私共の青木村の開発にもお世話いただきたく、お願い申しあげます。

 もし、ご趣法を実行の際は、何事によらずあなたさまのお指図に従い、決して相背かぬよう百姓たちにも、申し伝えてありますから、どうぞよろしくお願いいたします。

  天保四癸己二月
      勝三郎 印
      二宮金次郎殿

 千五百石の大身(たいしん)旗本が、農民の出身の金次郎に頭を低くしての依頼状です。



二宮尊徳が植えた黐の木(廣澤光一郎氏屋敷内)


文:舘野義久
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