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よみがえる金次郎

【拾弐】青木築堰


 青木築堰の工事で大事なことは、増してくる水嵩(みずかさ)と如何にして闘うか、つまり短い日時内に川止めをするかということです。桜川の低い所から取水するのですから、水圧に耐えられず堰が崩れることが心配なのです。

 尊徳は秘策をこめて、天保4年(1833)3月3日桜町陣屋を出発、青木村を回村、先に約束した荒地の開拓が予定通り実施されているのを見て、「懶惰(らんだ)の風(ふう)」(気力がなく怠ける様子)も改まったものと考え、堰普請を引き請ける決意をするのでした。

 3月7日尊徳の技能集団ともいうべき、西沼村丈八、東沼村専右衛門、物井村忠八、岸右衛門が大工、木挽(こびき)など専門職人を引率工事に着手しました。さすが桜町仕法で鍛えた連中、段取りの早いこと、村民は目を見張るばかりでした。

 尊徳手製の設計図に従っての事業区割、水の勢いを止める岩石は、青木山から掘り出し村民に運ばせました。水を汲み干す踏車(ふみぐるま)、堰堤の築造、特に高堰の枠組は、青木山から欅、杉、檜、松の大木が切り出されての造作、それはそれは大工事でした。もし、大雨にでも遭えば川床の掘立工事は水泡に帰してしまいます。

 この工事は、流水の中を掘って堰を造るのですから、早く木枠を埋める必要があります。尊徳は、ここで奇策ともいうべき奇想天外の発想で工事を展開したのです。

 川の上流の土手に、川幅に応じた一軒の茅葺の家を作ります。誰も何のためにこのようなことをするのか、不思議に思うばかりでした。これを両岸より吊り上げ、川の中央にせり出したのです。屋根に上って綱を切るよう命じますが、誰も恐れてやる者はいなかったといいます。

 そこで、尊徳自ら上り腰刀で網を切ると、傾きながら旧堰の棒杭(ぼうぐい)に引っかかり沈むと、「皆の衆!あの上に石を投げ込め!」と命じました。岩石、土俵、空俵、蛇篭を埋め杭を打ち流水は止められたのです。
 堰はその上に組立てられ、大小二つの水門を備え、水量の少ない時は小門を開き、多い時は大門を開くという合理的な設計でした。茅葺の家を沈めたため、川底の土砂の流れが抑えられ、水持ちもよく洪水にもよく耐えた堅固な堰でした。

 工事は3月7日より17日までの10日間で完成、水路の堀普請まで含めて3月24日に完了しています。要した人夫は1303人、茅1245駄、米173俵、金60余両でした。
 元禄15年(1702)真岡代官中川吉左衛門による堰普請と比べてみても、短期間のうちに完成、費用もかかっていないことがわかり世人が驚くのも無理からぬことです。

 青木村の古老たちは、この堰普請を「極楽普請(ごくらくぶしん)」と伝えています。工事が始まるや酒の好きな者には酒、餅の好きな人には餅を喰べさせ、士気を鼓舞し、早期完成に努めたわけです。


二宮尊徳による青木村桜川〆切用水高塙の図
天保4年築堰留めを始め弘化4年再築される
(青木、舘野正雄氏所蔵)


文:舘野義久
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