桜川市 アクセス エリアマップ 利用ガイド 
トップページさくらがわーるどレポートさくらがわーるどゼミナールさくらがわーるど商店街
よみがえる金次郎

【拾四】出精特奇人表彰


 天保十年(1839)までに青木村は、第1期の復興計画が完了し、桜町領(二宮町)とともに、尊徳仕法成功村、優等生としてその名が近隣に知らされるようになります。領主川副氏も大いに喜び、尊徳に知行地十か村の仕法実施を要請しました。
 
 しかし、一度に実施することは無理なので、困窮の激しかった加生野村(八郷町)で開始されました。この村は石高75石、戸数14軒の小村、多くの負債を抱えていたので、仕法の重点は、報徳金の貸付による荒地開発等の事業を、青木村を手本に進められました。

 ところで、尊徳仕法の原資である報徳金は、尊徳からの貸付金と領主よりの年貢定免[ねんぐじょうめん]による剰余金から成っていました。青木村では、その他に村の富裕農民層からの報徳金加入があったのです。

 堰の改修も進み、村柄も立ち直り、人口も増加するにつれ、尊徳は新たな手法で、村の復興に乗り出すのです。それは、「出精特奇人表彰」と「報徳金の貸付」を展開していきます。

 弘化元年(1844)代官役を命ぜられた舘野勘右衛門は、「新開地13町余、金194両」を報徳金に加入、名主新吉等もこれにならいます。農民を田畑あるいは金銭をもって報徳金に加入させようという試みは、成功していきます。

 尊徳は青木村の農民に、働く意欲の喚起ということで「入れ札」を導入するのです。この入れ札は、尊徳が決めるというものでなく、村民による入札という独特のものでした。

 この制度は、桜町領でも実施していますが、青木村ではより積極的に取り入れたのです。桜町のものとくらべると、そこに込められている尊徳の意図の違いが分かります。
 桜町の場合は、はじめてのことなので、尊徳自身に忠誠を尽くす者を選んで欲しいという気持ちがあって、選ばれた者に利益を与えるという点に重きがおかれました。

 青木村での入れ札は、出精特奇人(よく働き、誠実で意欲のある者)表彰ということで、選ばれた者に「一番 鍬三枚、二番 鎌五枚、二宮 金治郎」という褒美を与えていますが、尊徳の意図はこの入れ札によって、農民に報徳金の貸付、運用を普及させることにあったのです。(相互扶助、信用組合的考えの誕生)この金は無利息、五か年賦払いというものでした。

 無利息の金に魅力を感じない者はないはず。ただし、借金を必要とする者、しない者、借金の必要の程度など人によってさまざまです。自給自足の静かな村にも、商業資本の手は延びてきています。その中にあって長い間貧困にあえぎ、高い利息に苦しむ農民にとって借金には消極的、そのうえ金銭の有効活用など知らない、その日暮らしの人たちもいます。

 この報徳金を活用して、村の人たちの心の持ちようを変えなければ、生活の向上は望めないと尊徳は天を仰ぐのです。



「出精特奇人表彰札」廣澤光一郎氏所蔵
一番札 鍬3枚
二番札 鎌5枚
(金治郎は出生の名、のち小田原藩士となったとき、金・二・郎・となる。金治郎は私用の時に用いたという。)


文:舘野義久
プリンタ出力用画面
前のページ
青木村の復興
コンテンツのトップ 次のページ
青木村の反乱
ホーム アクセス マップ ガイド メール