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よみがえる金次郎

【拾九】掛縄積立


 青木村の農民は、常に洪水による堰の大破を恐れていました。これを修復する費用をどのように調達したらよいか、尊徳に教えを乞こうたところ「掛縄積立(かけなわつみたて)」という方法を教えたのです。

 「人間この世にあるは職、一日も職なくしてそれは叶わず。昼は昼の業あり、夜は夜の業なく、早く寝るが如きは財宝を捨てて、家を貧しくする基なり。故に男は夜業(よなべ)として必ず毎夜縄をなって出すべし。怠りてなさざれば買っても出すべし。女は毎夜糸をひき男を助くべし。」と、堅く誓約し、村役人をしてひそかに巡視させ、勤怠を報告し、賞罰を厳しくたため、農民その意味を悟り、夜業に励んだといいます。
 お徳と吉兵衛という夫婦はよく働き村の模範とほめられ、「おらが村には名物でござる糸ひきお徳に、縄ない吉兵衛」と歌われました。

 このようにして、5年間積み立て30万4千尋(ひろ)(1尋は両手をひろげた長さ、約1.8m)、この代金268両余、これらはすべて尊徳が買い上げ、勤労の成果を実践して示したのです。

 尊徳大いに喜び、「塵も積もれば山となるの諺(ことわざ)の如く、皆の眠りて過ごすべき僅少の時間より、生じたる金子(きんす)なり。皆もこれをもって貧富、死生を握れる。堰の普請に充あてよ。」と諭して与えたのです。( 積少為大(せきしょういだい)の精神を教える。)

 村民はよく尊徳の教えを守り、毎年2月大字の集会を開き、堰、道路、橋梁の普請、補修などを相談、共同事業としてきました。青木村は尊徳仕法の成果として、これらに要する費用を、旧旗本領より共有林20町6反11歩、積立金250両を保有していました。

 特に堰普請には、畚(もっこ・縄を網状にして四隅に綱を付け、土砂などを入れ運ぶもの)を必要としたので、毎年正月に1戸1人の割で、わらを持ち坪総代の家に集まり、縄をない1日かかって1人1枚の畚を仕上げ、普請の際にすぐ役立つように用意していました。

 昭和のはじめ頃の堰普請や修復は、ブルドーザーやバックホウもありませんでしたから、川の床掘りも、土砂の運搬はすべてが手作業、その中で二人でかつぐ畚は、大事な用具だったのです。


 新市「桜川市」誕生に伴い、この号をもって二宮尊徳を終了いたします。

 現代の厳しい社会状況にあっても、尊徳の教えは「青木村」でも息続け、これからの生き方の道しるべとなっております。

 資料提供者をはじめ、多くの方々のご協力に深く感謝し、この章を止めたいと存じます。


▲二宮尊徳建造の青木堰(明治中期の頃)
 (青木−舘野義久蔵)


▲ 昭和初期の青木堰普請修復工事の様子
 「よいとまけ」の滑車(かっしゃ]で床掘り


▲ 2人でかつぐ畚 小田原尊徳博物館蔵(青木より出品)


文:舘野義久
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