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よみがえる金次郎

【参】国定教科書と尊徳


 日本の教育史上に二宮尊徳が登場するのは、明治37年(1904)の国定教科書(修身)に取り上げられたことからです。
 そのいきさつについては「二宮翁と諸家」(青木・山崎文雄氏蔵)に記されています。

 この本(明治39年出版・留岡幸助編)の中にある―学説上に於ける二宮翁の地位―で、井上哲次郎(東京帝国大学教授、歴史学・哲学文学博士、貴族院議員)は、尊徳が国定教科書に導入されたことについて、次のように述べています。

 「国定教科書に二宮翁を加えたるは、最も選の宜しきを得たるものとい謂う可(べ)し。我国史中模範人物として中江藤樹(なかえとうじゅ)、貝原益軒(かいばらえきけん)、上杉鷹山(うえすぎようざん)あり。水戸の義公(ぎこう)(光圀)・烈公(れっこう)(斉昭)あり。共に是大和民族の精粋にして、後世の模範となすに足りるべきものに相違なきも、鷹山、義公、烈公の如きは大名なるが故に、一般平民にその縁すこぶる遠く、感化また及び難(がた)しきものあり。独り二宮翁は平民にして、而(しか)も農夫の子として成長せり。故に、農家の子女には境遇近く、境涯相似(きょうがいあいに)たり。境遇等(ひとし)が故に、教師は学びて怠らず。農家の子女もまた能(よ)く、二宮翁の如くなり得べしとの希望を抱かしむるにた足る。」と

 更に、井上は続けて、「国定教科書に、吉田松陰を加えんと欲しも、之(これ)に反対していわく、精神はともかく、彼は時の政府に反対したるもの。小学生徒には不適当の人物たるを免(まぬが)れず。」と述べ、二宮尊徳と吉田松陰を比較しています。

   まことに、意味の深い選択であったことがうかがい知れます。現実を肯定し、黙々と生きる少年金次郎と、幕府を批判し、鎖国の国禁を破った国外脱出を企てた青年松陰、明治の元勲たちの師匠松陰を、修身教科書の模範人物にするのには、うしろめたさがあったのでしょう。ここに、明治政府の教育政策が金次郎を重んじる最大の理由があったのです。

 ところで、「二宮翁と諸家」の所蔵者山崎家の先祖は、二宮尊徳の人格に傾注、勤・倹に努め尊徳の信を得ました。旧宅は尊徳によって青木築堰の折、残りの木材を用い造作されたものです。

 青木には、高橋家(現当主高橋敬氏)、深谷家(現当主深谷禮次郎氏)、岡田家(現当主岡田宏氏)などもありましたが、いずれも改築され現存していません。

 なお、尊徳は山崎家と谷中家(現当主谷中庄五郎氏)に、白檀の木を各々三本植えています。この木の原産はインド。高木で淡黄色、芳香あり、仏具・仏像・香料に用いられる銘木です。両家とも現在の住宅は、この木を床柱にして新築されています。

 山崎家は、尊徳と深い関係があり、明治39年この本が出版されるや、いち早くこれを購入。尊徳精神の何たるかを学ぼうとしたものと思われます。この本が青木に在ったということは驚きであり、尊徳への関心の深さが伺い知れました。


「二宮翁と諸家」
(青木・山崎文雄氏蔵)
  
  白檀の床柱(山崎家)



文:舘野義久
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