桜川市 アクセス エリアマップ 利用ガイド 
トップページさくらがわーるどレポートさくらがわーるどゼミナールさくらがわーるど商店街
よみがえる金次郎

【四】金次郎の生い立ち


 二宮尊徳の成功の秘訣は、少年の頃から人の休んでいる時でも縄をない、草鞋(わらじ)をつくり本を読み、全力で生き抜くことに集中したからです。人並み以上の勤勉と、創造力が生んだ賜物です。

 一家離散の運命に会い、伯父萬兵衛家の世話になる金次郎、「百姓に学問はいらぬ。学問は家を傾けるばかりだ。農業に励め。」と、激しく叱責(しっせき)する伯父でした。爪に灯(ひ)を燈(とも)すような倹約を強いられても、僅かな暇を見つけて本を読んだ金次郎。立身出世の鍵、原点はここから出発したのです。(家を興すためにこそ、学問は必要なのだ。そこには自立させてくれる道筋が書いてある。)この考え方は、生涯尊徳の信条となるのです。
 
 伯父萬兵衛から見て金次郎は、よく働く、体格も立派、一端(いっぱし)の百姓になるのには、十分の素質があると見込んでいました。しかし、気にかかることがあったのです。それは働き方なのです。つまり、田や畑を耕し、種を播き、草を抜き、刈り取るなどの農良仕事に熱心だという働き振りではない仕草が見られるからです。
 ときどき物事に異常なほどの執着を示すことがあります。ひと口に言って、金銭(ぜに)になる仕事に対する執念みたいなものが見え隠れするのです。
 
 金次郎の周囲の百姓は、金次郎などはものの数ではない程の働き様でした。朝、星を仰ぎ、夕べに月を拝む、働いても働いても、これ以上働くことはないと言われる程、働く百姓たち、そうしなければ四公六民、五公五民の年貢は納められなかったのです。

 そんな農民層から、何人の二宮尊徳が生まれただろうか。何人の歴史上の人物が出てきたでしょうか。領主権力と闘い、百姓一揆のリーダー佐倉宗五郎は有名です。二宮尊徳の生き方は、彼とも違うのです。単なる篤農家(とくのうか)ならば、数えることのできない程輩出しています。

 赤貧(せきひん)洗うが如(ごと)き中から、金次郎は小田原・足柄の村一番の地主になったのです。(34歳にして、3町8反9畝9歩、小作米39俵3斗、自作米24俵1斗、持金350両)

 尊徳の生き方を見ると、江戸時代末・封建社会の矛盾を見抜いた生き方をしています。当時、農村において唯一、ある期間免祖される土地は、開墾地だったのです。酒匂川(さかわがわ・小田原市)の氾濫に遭遇、田畑の埋没、荒地となった経験を逆手にとって蓄財に活かしているのです。

 余裕のできた金銭で、田畑を買い求め、多くは小作に出しています。租税の高くかかる土地を耕すには、金次郎の労力は、余りにも貴重だったのです。自分は小田原城下での奉公、商業的活動に励み蓄財していたのです。
 
 まきを背負い、本を読む金次郎の背中の薪は、自宅で焚くのではなく、武家や商家に売り、金銭に換えていたのです。

 自ら耕すことをやめ、蓄財に努め、さらに武家の経済の立直しに辣腕(らつわん)を揮(ふる)う二宮金次郎は、「開墾と利殖」を組み合わせた独特の仕法を青木村(大和村青木)でも展開するのです。


まきを背負い「大学」を読む金次郎図(舘野義久蔵)


金次郎が読んだという「大学」の一節


文:舘野義久
プリンタ出力用画面
前のページ
国定教科書と尊徳
コンテンツのトップ 次のページ
青木村の変遷
ホーム アクセス マップ ガイド メール