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まほろば紀行 もくじ

狢と猿と獺


 昔々、大曽根の十字路で、狢と猿と獺が出会いました。
 「山東を越えて向こうに行ってみようよ。」と、狢がいいました。猿も獺も賛成しそろって出発しました。

 七折峠にさしかかったとき、だれが落としたのか蓙(ござ)が一枚、塩が1叺、豆一升が入った袋が落ちていました。「これはよい拾いものをした。」ということで、これをどう分けたらよいか相談しましたが、なかなかまとまりませんでした。

 そのうちに、狢が「猿さんは、木登りが上手だから、この蓙を木の上に敷いてほうぼう眺めるといいよ。」、「獺さんは、この塩をどこかの魚のいそうな池に持っていってまくと、魚が浮いてくるからいいよ。」、「わしは、残りの豆をもらうか。」といいました。
 猿も獺も狢の口車にのせられ、「いいよ」と返事をしてしまいました。

 猿は喜んで木の上に蓙を敷いて遠くを眺めようとしたら、滑って木から落ちて、足を挫いてしまいました。

 獺は池を見つけて、叺の塩を投げ込み、様子を見ようと池の中に入れますと、塩水が目にしみて真っ赤にただれてしまいました。
 「これは、とんだ物をしょい込んだ。狢がずるいからだ。」と、苦情を言いに狢の家へ行きました。

 狢は一升の豆を、女房の狢と食べてしまって、食べすぎた真似をして「うう!」と呻(うな)って寝てしまいました。
 「わしも、豆を食べたら腫(は)れものがたくさんできて、苦しい苦しい!」と泣き声をして見せました。
 猿も獺も、また騙(だま)されて、「それじゃお互いさまだから仕方ない。」と帰ったそうな。

 狢にかかっては、どんなヤツでも騙されるそうだから、気をつけよう・・・。


 「私が幼い時、父から聞いた話ですが、それは、明治の初め父が15、6歳のころだそうです。」と大曽根の古老は語ってくれました。
 当時、大曽根の山々(加波山麓)には、猿・鹿・猪・笹熊・狸(たぬき)(狢(むじな)ともいう)・鷲(わし)・鷹(たか)・隼(はやぶさ)などの鳥獣がたくさん棲んでいたそうです。
 近郷には何人かの猟師がいたが、大曽根の猟師ほど高名で、ねらった獲物を百発百中で射止める者はいなかったといいます。

 そのころ、猟師仲間の標的になっていたのは一匹の大猿で、この猿は、どんな枯れ枝でも折ることなく、木から木へと跳び、枯葉を踏んでも音を出すことなく、忍び寄るように出没したため、里の人からは恐ろしがられていたといいます。

 ある寒い日、この大猿が、“谷部の北沢”を下り、“大曽根の中沢”に来たとき、大曽根の猟師が、多すぎの陰に隠れ鉄砲で「ズドーン」と一発、この大猿をみごとに射止め、獲物を背負い、雷(らい)神社の前に運んだそうです。後ろ足は地面に引きずるほどだったとか。
 昔、ここの人たちは、猿のことを「さる」といわず「山のおっさん」と呼んで畏怖(いふ)していたそうです。

 この加波山麓から猿や鹿が姿を消したのは、明治の10年代ころからだそうです。それは、石の採掘が盛んになり大量の火薬が用いられ、その発破(はっぱ)音に驚いたのと、鉄砲による狩猟(しゅりょう)で乱獲されたからだといわれています。

 ここ大曽根は、山越えをすると旧笠間城下への近道だったため、通行はけっこう多かったいいます。木植(きうえ)から七折峠(ななおれとうげ)を越えて、泣き坂(昔、盲目の座頭がこの坂で迷い、狐の鳴き声に恐れ泣いたということから)を下ると大曽根に入ります。
 古くは、浜の海産物(魚・海草・塩など)を運ぶ「塩の道」でもありました。

 しかし、途中の山路は険しく妖怪が出没し、旅人を悩ましたといいます。叺(かます)(むしろで作った穀物や塩を入れる袋)に詰めた塩や魚の干物を、七折峠に待ちぶせして、馬方がひと休みしているすきをねらって、狢が叺ごと馬の荷鞍から盗ったという話も残っています。


文:舘野義久(大和村教育委員)

取材協力
岡村安久さん(大曽根)
小林武夫さん(大曽根)
プリンタ出力用画面


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