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仏根場の伝説 ―姥捨て山考 1―


 これは、昔々の話です。

 この地方を治めていた領主は、62歳になると、「仏根場」といわれる石窟に捨てるように命じた。
 そんなある日、領主より「灰で綯(な)った縄を持参せよ。」という触れが出されました。

 ところが、誰も作ることが出来ず困っていると、里に住む親孝行な息子が「仏根場」に捨てた父親にこっそり会い、事の次第を告げました。「それは簡単なことだ。藁(わら)を固く撚(よ)って、それを焼くと灰の縄になる。」と教えてくれました。

 早速、息子は父親の教え通り灰の縄を作り、領主に差し出しました。領主は大いに喜び「望みの褒美をとらせよ。」といいました。
 息子は「これは、仏根場に捨てた父親が教えてくれたものです。年寄りといえども、その知恵は大いに役立ちます。褒美はいりません。年寄りを捨てることだけはしないでください。」と訴えました。
 領主は、今までの非道を改め、老人を捨てることは止め、大切にするようになったといいます。

 この地に、大きな洞窟があり、中に観音像が刻まれ、捨てられた老人の霊を弔ったといいます。しかし、今はその跡を見ることは出来ませんと「大和村史(一)本木の旧蹟(一)」にも記載されています。

 このような「姥捨て山伝説」は、山間部の山里で、天水(雨水)を頼りに稲作をし、常に旱魃(ひでり)に悩まされ、雨乞い神事の盛んな地方に残っています。
 特に、戦国の世では人心は荒廃し、厳しい生活環境におかれると、敵の攻撃から家族を守るため、子女や老人を山奥に隠すことは常套手段(じょうとうしゅだん)のことでした。

 そのうえ、老人は戦いともなれば足手まといとなるため、そのまま捨てられてしまいました。
 また、口減らしのため、戦勝側の領主から政策的に山捨て行為も行われたともいいます。
 この「姥(親)捨て伝説」は、信州地方の山奥ばかりでなく、近くの小栗、筑波、八郷、笠間の山麓にも残っています。


 祥光寺(しょうこうじ)(本木・臨済宗)前の谷部沢川添いの道を登って行くと、坂も急、崖も深くなります。古老に「仏根場の伝説」場所をたずねると、親切に方角を教えてくれました。

 東山林道の終点から、関東ふれあいの道を雨引山の方に進むと、見事な樹林が出現します。谷の杉、峰の松の格言通り、赤松の木肌と枝振りに見惚れると、杉の木立が聳(そび)えてきます。樹々の間からは、キーキーと鳴く山鳥の囀(さえず)りが聞こえます。

 さらに、奥地へ進むと幾筋もの清水が湧き、谷部沢川の水源地となっています。一帯は人間の侵入を拒むかのように、昼なお暗くという所です。
 そんな山奥に「仏根場の伝説」の石窟はあったのです。しかし、その場所を確認することは足場も悪く難しいことでした。


文:舘野義久(大和村教育委員)

取材協力
飯島光弘さん(本木)
木代隆さん(本木)
プリンタ出力用画面


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